当時1階で仕事をしていた広報室の難波は、こう振り返る。
「雨がかなりひどくなってきて、外を見たら、窓の外からものすごい勢いで水が押し寄せてきて、これは帰れないなと思った矢先に、床からどんどん水が入ってきました。
あっという間に足元まで水が来て、とにかく『パソコンや貴重品を2階に上げろ』という指示が出ましたが、私が当時使用していたのはデスクトップパソコンで、上に運ぶ余裕がありませんでした。大事なものを持っていこうにも、何を持っていったら良いかわからず、結局、自分の貴重品だけ持って上階に避難してしまいました。
まさかあんなに水が上がってくるとは思わなかったので、少しでも上にと思って、とにかく机の上に書類を上げておいたんです。今思うと、それがかえって仇になったというか…。キャビネットの中に入れたままの方が、書類は流されなくて済んだんですよね。
『まさかこんなことになるなんて』と後悔しました。でも、経験したことがない事態だったので…。」
一方、当時購買部だった二ノ瀬は、迅速な行動により上階へ荷物を運び出すことができた。
「1階の、広報室とは別の場所に職場がありました。床上浸水する前、窓の外に流木が流れ始めたのを見た瞬間に、当時の部門長が『パソコン、プリンター、全部2階にあげろ!』と即座に判断しました。
部署には大型のプリンターが数台あり、大きい機器から移動させました。途中から2階の職場の方も応援に駆けつけてくれ、大変助かりました。水が入ってくるのも、かさが増すのも本当に早かったのですが、運良くほぼ全ての機器を上階へ移動させることができました。
しかし、書類はというと…、だんだん水かさが増していって、あるところで『もう切り上げよう、これ以上は無理だ』という雰囲気になり、あきらめて避難することになりました。」
そして、稼働中だった製造現場でも、ギリギリの判断が迫られていた。当時、製造の現場管理者だった植木は、水が工場に押し寄せてくるのを確認すると、即座に「生産中止、避難!」と声を上げた。
「工場内は波がたって水が押し寄せてくる状態でした。生産設備が稼働していたので、このままでは従業員が感電してしまうと思い、『ブレーカーを全部落とすように!』と指示を出し、工場内を全て回って確認しました。水が腰の高さまで上がる中、2階への避難が指示されていましたが、柱につかまっている人など上階に上がれていない従業員もいたので、スタッフで確認し、全員2階へ避難させました。
社員を上階に避難させた段階で、『これは大変なことになるな』と思いました。そこで、設備メーカーなどの連絡先をホワイトボードに書き出し、『復旧がいつになるかはわからないが、こちらに来る準備をしてほしい』と関係各所に電話を入れました。」
直後に工場は停電。事前の迅速な連絡が、のちの復旧スピードを支えることになる。
水かさは次第に増していき、決壊から約1時間後には1階部分が浸水した。幸いにも本社社屋にいた全員が上階に避難できたが、濁流により外に出ることはできず、さらには受電設備も故障し、社内は停電。従業員は会社の中で不安な一夜を過ごすこととなった。
水かさが増していくなか、上階に荷物を運び出している
あっという間に1階部分は浸水し、階段下が見えなくなってしまった
孤立した社内のリアル―寒さと情報の空白
水害当日、一夜を会社で過ごすことになった原価管理部署の佐藤(当時)も、リアルな状況を語る。
「避難した夜、私は石油ストーブの試験室にいました。梅雨時期ではありましたが、水に濡れていたこともあって、夜は意外と寒かったんです。なので、器具が入っていたダンボールをかき集めて下に敷いたり、体に掛けたりして。それでも寒かったので、試験室にあったポータブルストーブをつけて暖を取りました。
当時は新婚だったんです。「まさか家に帰れないなんて」と思いました。妻にも電話したかったのですが、携帯の電池が切れてしまって。誰かのパソコンからなんとか連絡できる手段を探して、ようやく「一晩泊まるから」とだけ伝えた状態でした。
実は私、河川の決壊直後、一度は家に帰ろうとしたんです。でも、扉の向こうに水の壁が見えて諦めました。今思えば、諦めて良かった。もう少し早く車で外に逃げていたら、途中で動けなくなっていたはずです。
よっぽど早い段階で帰るか、もう割り切ってその場に残る(垂直避難する)か、どちらかしかないんです。中途半端に『これくらいならいけるかな』と動くのが一番危険だと思い知りました。
あとから振り返ると、結果的には、社内に留まったことが正解だったんだと思います。もしあの時、中途半端に外へ帰宅させていたら、おそらく多くの従業員が濁流に流されていたかもしれません。」
あの日、結果的に社内に留まる「垂直避難」を選択したことが、従業員の命を守った。
中途半端な避難は命取りになり、想定外の事態では迅速な判断が明暗を分ける。
泥だらけの社屋と、情報が遮断された不安な夜。
コロナのBCPの原点は、『現場のリアル』にあった。